高橋氏の回向・供養理解について

高橋氏によれば、塔婆回向(塔婆供養)は人間界以外の衆生に対して行うことで、相手の罪業が消滅され、成仏できるものだという(罪業を消滅するために行うものであり、善によって悪は相殺できるものであるという)。このため、人間が回向を受けても、何ら意味がないという。

さらに小池百合子氏は天の者であるから、塔婆回向する価値があるという(なお1本造立程度では効果は薄い)。

なお、「塔婆回向による相手の果報は成仏」としているものの、その内実は「小池氏の入院であり、来世が近づいている」という。したがって成仏とは、現世での利益ではなく、輪廻のことを指すと考えられる。


また、「塔婆供養をされて怒る人は異界の衆生」であり、そういった人に対して、塔婆回向の果報が見込めるとしていることから、随喜による功徳ではなく、功徳は移転されるものだと解釈しているようである(自業自得の原則を取らず、他業自得として解釈している(必ずしも、それがおかしいというわけではない))。

さらに「異界の衆生(天や餓鬼、地獄)が成仏する」としており、また一部の部派や一部の大乗仏教でとられているような霊体(ガンダルヴァ(乾闥婆)やプルシャ、中陰中有、プトガラ(補特伽羅))ではなく、現に餓鬼界や地獄界で生きている衆生(しかもそれは現実社会にも人間のフリをして存在している)を成仏させるようである(ただし成仏とは前述のとおり、死後の生天である)。

なお、別途霊魂の存在も認めており、これに関しても、追善供養によって成仏させるようである。

他の事例として、次のようにも示されている。

上の事例では、浮浪者が塔婆回向により、現世損失として収入の減少、体調の悪化が見られ、死に至ったほか、その後、畜生への輪廻をしたと主張している。このことからも、高橋氏の主張する「成仏」とは、輪廻を指すことだと考えられる。

なお、「先祖代々」に対して行った回向が、本人に到達したようである。また、供養対象の部下などにも効果があるともしている。


その他、2020年7月30日には、ツイキャス配信者らの水子の霊の塔婆を無断で立てたうえで、「塔婆を立てないと日本語能力が下がる」といったものも見られる(なお2022年8月24日には、この配信者の生存は確認されている)。

なお2021年11月25日のツイートによれば、「老子は本名がわかっているから塔婆を立てられる」としているが、上の事例ではハンドルネームで塔婆を立てたようである。


塔婆供養した相手は次の通りである。

2022年11月16日 朝生家(牧師、但し寺院のミスにより「麻生家」となった模様)

2022年1月10日 高橋家先祖代々

2021年11月頃 小池百合子氏

2020年11月頃 菅野完氏

2019年9月頃 獣の数字(新約聖書)

時期不明 ツイッター配信者とその水子

時期不明 秦の始皇帝

時期不明 浮浪者


なお、塔婆は大石寺で建てたという。

廻向(回向)について

『宇井白寿監修 仏教辞典』(大東出版、1938年、76~77頁)によれば、「菩提廻向」「実際廻向」「衆生廻向」の三種の廻向が示されている。

このうち、「菩提廻向」「実際廻向」とは、自分が積んだ善根功徳を自らの菩提や涅槃に対して回しむけるものであり、「衆生廻向」は他人に対して回しむけるものである。

ただし、上述の衆生廻向は、自業自得の原則に反することとなり、また業が等価でもなくなることとなりうる。このようなことから説一切有部を初めとする上座部では、善行功徳を他人に移すのではなく、廻向されたことを随喜したことによって、受者が善業を積んだとする解釈もある(例えば藤本晃[2006])。

一方、現代上座部とされるテーラワーダでは、随喜に関しては、上述の有部のものと同様の解釈であるが、廻向については「功徳を他に差し上げること」としている(日本テーラワーダ仏教協会「廻向と随喜」を参照)。

また大乗仏教においては、『大智度論』巻六十一(『大正新脩大蔵経』25巻488頁下段13~14行目)によれば、このような随喜の功徳は、自作者(随喜される善を行う者)に勝るともしている。

さらに一部の論文においては、部派時代の廻向は餓鬼界の半分までしか届かないとされていたという主張も見られる(故に地獄界には届かない)。


すなわち、塔婆廻向に当てはめるならば、仏塔造立の功徳・廻向したものにも功徳があり、自分の菩提にまわし向けることで仏果が増進するもの(菩提廻向)であり、また廻向されたものも、その随喜により仏果を得る(衆生廻向されたことによる随喜)と解釈できる。

この理解において、生者亡者の区別はない(ただし「追善」とする場合には、その言葉通り、亡き者に対して廻向を行うことであるから、亡者に対して行う廻向ではある)。事実、有部の餓鬼廻向は、餓鬼界に生きている衆生が対象である。

善悪(自業自得)について

『アングリマーラ経』では、殺人者が出家したストーリーが述べられている。一定の時期の経典で示されるアングリマーラは、殺人の果報として、投石被害などを被っており、出家や修行による功徳によって相殺はされていない。おそらく一定時期以降の部派の解釈では、修行で善根功徳を積んだとしても、業報思想に基づいて、悪業は苦果を受けなければならなく、相殺ではないと推測できる。

出典・参考資料

『宇井白寿監修 仏教辞典』(大東出版、1938年)

藤本晃『廻向思想の研究 - 餓鬼救済物語を中心として』(ラトナ仏教叢書、2006年)

『大智度論』(大正蔵25巻488頁下13~14)

日本テーラワーダ仏教協会「廻向と随喜」https://j-theravada.net/dhamma/q&a/qahp53/(2022年12月20日閲覧)

平岡聡「アングリマーラの<言い訳>」(『仏教学セミナー』87号、2008年)